生みの親育ての親

俺の生誕したところは実は旧桂村じゃない。隣の御前山村(現常陸大宮市)野口。那珂川を見下ろせる高台にある素敵なところ。3歳までそこで育った。3年間の記憶ってほとんどないんだけど工場(こうばと読む)のおじちゃんおばちゃんは忘れることはできない。
隣でプラスティック工場を営む渡辺英男ご夫妻。おばあちゃん、二人の娘まり子ちゃん&よしえちゃん(ともに高校生)の5人暮らし。俺の家はお父ちゃんが仕事、お母さんはいろんな習い事に出かけ、まーちゃんとともちゃんは学校。よって一人ぼっちの僕は工場へお出かけ。おじちゃんはいつも忙しそうに機械を動かし従業員も何人か雇っていていろいろ指示している。おばちゃんは家事をしたり時間が合ったら工場を手伝っている。忙しいのに俺のお守りまでしてくれるスーパーウーマンだ。買い物&散歩にも良く連れてってくれた。昔の御前山の宿場は結構華やかで玩具屋、本屋、なんとパン屋もあった。あの食パンの香りは一生記憶に残っている。今焼いていてもあの香りは出ない。もうそのパン屋はなくなり今は駐車場だしあのときの店主はもうこの世にいないので聞けないしね。話を戻して工場のおじちゃんは週末必ずバンで東京に向かう。作った製品を持っていくのだ。これに2,3歳の俺ついて行っちゃうんだから世話が焼けただろうな。東京を初めて見た記憶は結構鮮明に残っている。浅草のおじちゃんの知り合いの家に泊まり、そこのマンションのお風呂に入ったときのあの香りもいまだに同じ香りを嗅ぐと記憶が蘇ってくる。

おじちゃんは茨城県大子町出身。若い時に東京に出ていろんな仕事に就きプラスティック工場を墨田区で開いた。だが失敗しおばちゃんの実家のある御前山へ。いろんな苦労をしているから俺のやりたいことは何でも理解してくれる。そして心強い応援団長だ。

そんなおじちゃんおばちゃんも今70代中盤かな?おじちゃんなんかは後半になるかも。今は娘婿にあとを継がせ悠々自適な生活を送っている様子。老人会の会長なんてやって好きなゴルフも時々行っているらしい。俺が中学生の頃おじちゃんが俺にプラスティック工場を継がせようというのを風の噂で聞いた。思春期だった俺はわずらわしく思って聞かないふりしてた。今になっちゃ惜しい事したなって思うけどあの時はいい選択だったかもね。結婚式にも参列してくれて感激したし。

今会いに行っても豪快に笑って迎えてくれる。体はちょっと小さくなったし病気もしてるみたいだけどいつまでも元気でいて欲しい。今度おじちゃんも俺も好きな酒を一緒に飲みたい。まだ一度も飲んだこと無いからね。

俺の生き方の手本は渡辺英男おじちゃんです。